2015年09月01日

博多祇園山笠と太宰府天満宮(8)

博多祇園山笠と、太宰府天満宮(その8) 


                              平成8年7月 16 日  記す

  

        

[7月 13 日 の、『太宰府天満宮』への立ち寄り 〜 ]

        

次にバスは太宰府(ダザイフ)天満宮へ向ったが、その途中に『太宰府

観世音寺』へ立ち寄った。 日本全国に国分寺を建立する旨の詔勅

(ショウチョク…天皇が意思を表示する文書)を発した聖武天皇の治世の時に

完成したもので、七堂伽藍(ガラン)を完備した西日本随一の壮大を誇っ

ていたが、再三の火災や台風のため、創建当時の諸堂は悉(コトゴト)く

焼失したという。現在残っている創建当時の物は、京都妙心寺の鐘と

共に日本最古と言われる梵鐘(ボンショウ)と礎石だけで、この梵鐘は

大晦日(オオミソカ)の除夜の鐘として、毎年NHKでも放映されるそうな。

        

バスガイド嬢の話では、今、この梵鐘を見学のため、私の大好きな

作家の1人である永井路子さんが訪れていて、ここの住職さんに案内

されている…とのことだった。 NHKは来年の大河ドラマとして

「毛利元就(モトナリ)」を取り上げるということだが、この原作者が永井

路子さんで作品名は『山霧』。 毛利元就の妻;お方(奥様の別称)を

主人公としたものであることも熟知していた。 内容が気に入って、

上・下との2巻物を母に音読してあげた小説の1つでもあったっけ。


 本を読むことが大好きな母だったけれど、普段は日常の農作業が

忙し過ぎて実際には読んでいられる機会は少なかった。 やっとその

余裕が出来た頃には老齢に伴い視力が落ちて、容易に本を読むことが

出来なくなっていたので、親孝行の真似(マネ)ごとをしてみただけの

ことに過ぎないのだがネ。 でもその数は、文学全集位の厚さの本に

換算すれば少なくとも 40 冊は超えているであろう。 ほい、又々

脱線してしまったわい!  話題を元に戻そう。


しかし、これはガイド嬢の聞き違いで、鐘楼の階段を住職と2人で

降りて来られたのは永井路子さんではなく、同じ著名な作家ではある

が杉本苑子(ソノコ)さんだった。  杉本苑子さんの作品の中で私が気に

入っているのは、孤愁の岸・江島疑獄・長勝院の萩などである。

  なお、ここの観世音寺には優(スグ)れた仏像が多いとのことで、

みんなの後ろからゾロゾロ歩いて拝観はしたが、あいにく私達2人は

仏像にはほとんど関心を持たなかった。 要は、美的観察力が劣って

いるのであろう。


        

やがて、太宰府コースのメイン『太宰府(ダザイフ)天満宮』へ到着

した。 パンフレットによれば、福岡市から直行すると車で 40 分ほど

だそうな。 太宰府と言えば、菅原道真を祀(マツ)った太宰府天満宮を

連想する人の方が一般的には多いだろう。  彼の詠(ヨ)んだ和歌の内

でも、「東風(コチ)吹かば/匂い起こせよ/梅の花/主(アルジ)なしとて

/春な忘れそ」は、余りにも有名であるし、現在は特に梅の名所・

学業の神として、春の入学試験の頃には賑わいを見せているとの

ことだ。   境内に入ってから『心』という文字を模(カタド)った池に

架かっている太鼓橋を渡った。最初の太鼓橋は「過去の橋」、次に

真ん中の平(タイ)らな「現在の橋」、最後に渡る太鼓橋は「未来の橋」

と名付けられていた。

        

再びバスガイド嬢の説明より。《現在の穏(オダ)やかさに比べて

未来の険(ケワ)しさは、世の一生(イッショウ)を暗示しているようだと言わ

れておりますので、渡ります時によーく御覧下さい。 そして皆さん、

“未来の橋”を渡ります時は、後ろを振り向かないで渡っていただき

たいと思います。過去は振り返らない…ですよ。 お帰りになられる

時は、結果的に振り返ることになるんじゃないかと言われるお客様

も多うございますが、お帰りになられる時はこの橋をお渡りにならず、

左前方の道をお通り下さい。  「いや、しかし、私はもっと若返り

たいわ!」とおっしゃられる方(カタ)は、どうぞ、太鼓橋を渡って

お帰り下さい(この時点で、説明を聴いていた観光バスのお客は全員

大笑いだった)。


 はーい、皆さん今から“未来の橋”を渡りますよ。 未来の橋は

皆さーん、どうぞお躓(ツマズ)きになりませんように…、後ろを振り

向かないようにね……。 さー、みんなで渡ればー。そうそう、怖く

なーい!  はい、次へまいりまーす。 ええー、ちようどこのすぐ

そば右手に見えております梅の木が、あの有名な“飛び梅”でござい

ます。道真公が九州に流されました時に、京都から一夜の内に飛んで

来た…と言われておりますのが、あの“飛び梅”です。


境内には約 6,000 本の梅の木がございますが、いち早く、この

“飛び梅”が花を咲かせて、道真公をお慰めしているようでござい

ます。 それから、すぐ左手の正面に見えております本殿は、今から

400 年ほど昔、小早川公がお建てになったものでございます。 桃山

時代の特徴をよーく表しています。細かーく組み合わせているという

ことですね。 国の重要文化財の指定を受けております。 この本殿の

屋根。この屋根はですね、檜(ヒノキ)の皮で造られているんですよ。

20 年に一度替えられます。私が生まれて一度替わりましたよ。

アッハーッ!、聴いていませんね…。[と、彼女は首を竦(スク)めた。

この時点でも、大勢のお客の笑いを誘っていた]。


 皆さん、この本殿の真下、本殿の真下には菅原道真公のお墓がある

んですよ。 で、ここは「2礼、2拍手、1礼」、すなわち、2回の

礼をしまして、 ポンポンと両手で打ち、最後に1回の礼。 この要領

でご参拝下さいませ。 そして、お賽銭(サイセン)はいかほどご用意いた

だけましたか 「あたしの勝手でしょ!」って言われそうですが、

あーら!、隠(カ)れてますのね。 あのー、10 円玉1つ投げる方(カタ)が

多いんですが、10 円玉はトオエン;縁が遠くなるんだそうです。


  5円玉がご縁があっていいそうでして、「私はそれだけじゃ足りない

わ!」…という方(カタ)は、45 円ならばシジュウ(始終)ご縁がある…と

いうのは御存じですね。  一番いいのは 125 円、これは十二分にご縁

があるそうですよ。  又、私の考えでは、道真公は何と言っても

ご参拝のお客様が多いんでね。コインが当たってたん瘤(コブ)だらけ

(アザ)だらけだと思うんですよ。それで、痛い・痛い!、お札(サツ)

が欲しいよー!…とか言ってるんじゃないでしょうか、はい、

失礼致しました。どうぞ、ご参拝下さーい》…と、舌が滑(ナメ)らか

だったっけ。


      ( 以後は「その9 」へ続く)

            

posted by 何んだろ?坊や at 07:51 | Comment(0) | 祭 博多祇園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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